三国志の入り口の話
小寺絢出演予定の舞台、『Three Kingdoms〜呉国編〜』(7/8〜7/12@新宿村LIVE)は皆さまチェックしてくださいましたか٩(◦`꒳´◦)۶?
「気になるけど歴史がよく分からない…」
「壮大な三国志の、どの部分をやるの?」
など、気になる部分も多いと思いますので、今回はその紹介をさせていただきます🔥
まずは、三国志の起源となる出来事から。
中国大陸では古くから争いが絶えず、
何度も王朝が変わっています。
今から約2000年前には、
「光武帝(こうぶてい)」によって、
一度は滅んだ"漢"が再興され、"後漢"が制定されます。
時は流れ、第十二代皇帝「霊帝(れいてい)」の時代。
宦官や官僚の間で汚職が蔓延り、
民衆は終わらぬ搾取に苦しんでいました。
不満が溜まった民衆は新興宗教に救いを求め、信者はあっという間に中国全土に広まりました。
そして教祖の呼びかけにより、後漢王朝への大規模な民衆の反乱が起こります。
この時参加した信者達が黄色い頭巾を着けていたため、
"黄巾の乱"と呼ばれています。
反乱を収めるために各地の武力を有する者達が活躍し、やがて制圧されました。
しかし後漢王朝が安泰になる事はありませんでした。
ほどなくして霊帝が亡くなると、
後漢の首都"洛陽"に、悪名高い、
「董卓(とうたく)」が君臨しました。
最強の武将「呂布(りょふ)」を抱えていたため誰も逆らえず、
まだ幼い「献帝(けんてい)」を即位させ、
後漢を思いのままにしていました。
これには諸侯らも黙ってはいられません。
「曹操(そうそう)」の呼びかけによって"反董卓連合軍"が結成されます。
「袁紹(えんしょう)」を盟主として、
「袁術(えんじゅつ)」
「劉備(りゅうび)三兄弟」
「孫堅(そんけん)」
などもこれに参加します。
連合軍の奮闘により、董卓は首都である洛陽を焼き払い、長安へと遷都します。
董卓を討伐できる絶好のチャンスでしたが、連合軍は内部分裂してしまい、
目的を果たさないまま解散しました。
その後、董卓は呂布と女性の取り合いになり、結局は身内の呂布によって命を奪われました。
このチャンスを逃さなかったのが曹操です。
董卓の部下が仲間割れをしているうちにすかさず献帝を保護し、後漢を操るようになりました。
曹操率いる、王朝をも財力で操る魏国
劉備率いる、仁義を重んじる蜀国
孫堅率いる、家族と国を守る呉国
こうしてあの有名な三国志が幕を開けるのでした!
次回は『Three Kingdoms〜呉国編〜』の、歴史的背景を紹介します✨
土日のチケットは完売ですが、平日はまだチケット予約可能です!
私の出演回は、
7月 武昌チーム
8(水)18:30-
9(木)13:30-
10(金)18:30-
11(土)12:00-
12(日)16:00-
です。どうぞご検討ください✨
劇場での観劇はこちらからご予約できます♪
ご自宅にDVDをお届けする、「デリバリーステージ」というものもございます!
今回の舞台では万全の感染症対策がされますが、まだ外出は怖いという方。
東京は遠いけど舞台は見てみたいという方。
観劇とは別に映像も手元に残したい!という方!どなたでもご予約していただけます✨
プロの映像監督が色んな映える画角から舞台を撮影してくださる予定なので、何度でも楽しめます💓
よければぜひご予約ください♪
7/12以降も約1週間の間はこちらのフォームから予約していただけますよー✨
※ちなみに、予約時に日程を選択させられますが、どの日程を選択してもDVDは同じ内容です!
閲覧ありがとうございました😊
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